第2回 ★5無凸と★4完凸――結果から努力量は逆算できない

五つ星の無凸と四つ星の完凸を天秤で比べる黒髪の案内役 社会心理学
結果が同じでも経路は違う。結果が違っても努力量の差とは限らない。

この連載では、ガチャのレアリティを使って、努力・初期条件・公正世界仮説の関係を考える。星は人間の価値や能力そのものを示すものではない。

前回は、ガチャの星を「本人が選べなかった初期条件」の比喩として使った。

今回は、そこへ育成状態を加える。

目の前にいるのは、★5無凸と★4完凸だ。

さあ、結果しか見ない自称名伯楽には少々意地の悪い問題である。肩書も家柄も伏せ、最後の数字だけを見せれば、どちらが努力したか即答できるのだろう。普段あれほど簡単に他人を「努力不足」と呼べるのだから、当然できるはずだ。

ガチャゲームを知らない人のために説明すると、「凸」は同じキャラクターを重複して入手するなどして行う追加強化を指す。無凸はその追加強化がない状態、完凸は上限まで進めた状態である。細かな名称や仕組みはゲームごとに違う。

ただし、無凸は未育成という意味ではない。レベルや装備を十分に整えた無凸もいる。また、実際の完凸は運や課金、配布量にも左右される。現実のゲームにおける凸数を、そのまま勤勉さの点数にすることはできない。

そこで今回の思考実験では、意味を次のように整理する。

  • 星の数は、本人が選べなかった初期条件や利用できる資源
  • 育成は、その条件のもとで積み重ねた取り組み
  • ★4完凸は、不利な条件から利用可能な強化をかなり進めた状態
  • ★5無凸は、比較的有利な条件を持つが、追加強化を上限までは進めていない状態

これは説明用の模型である。特定のゲームにおける性能順位を断定する話ではない。

限界まで育てても届かない場合がある

★4完凸と★5無凸を、同じ課題へ挑ませる。

ゲームによっては、★4完凸が★5無凸を上回るだろう。役割や相性、装備や編成によって結果が逆転することもある。

一方、★5側の基礎性能や固有能力が強く、★4が限界まで強化されても互角にしかならない場合もある。★4完凸が★5無凸へ届かない設計もあり得る。

ここで見たいのは、どちらが強いかではない。

★4が負けたとき、その結果だけを見て「育成が足りなかった」と言えるのかという問題である。

この模型では、★4側は利用できる強化をかなり進めている。それでも初期条件の差によって届かなかった。ならば敗北は確認できても、努力不足までは確認できない。

しかも、★4側が育成前より強くなっているなら、取り組みには効果があった。

相手を上回れなかった。
努力に効果がなかった。
本人が努力しなかった。

この三つは別の命題である。

ところが現実の努力論では、しばしば一つにまとめられる。勝てなかったのだから、努力が足りない。成功しなかったのだから、努力は無駄だった。結果が出ないのだから、本人は本気ではなかった。

ずいぶん便利な変換機だ。負けという一つの情報を入れるだけで、努力量と意欲と人格まで出力してくれる。

精度については、誰も保証していない。

保証されていなくても構わないのだろう。外れた判定で損をするのは、判定した本人ではない。努力不足の札を貼られた側だけだ。これほど低品質で運用者に優しい装置も珍しい。

「もっと努力すれば」は反証できない

努力不足という説明が強いのは、反証が難しいからだ。

★4完凸に「もっと努力すれば勝てた」と言う。だが、すでに完凸していると答えれば、「装備が足りない」と言う。装備も整えたと答えれば、「使い方が悪い」と言う。それも改善したと答えれば、「本当に才能のある人は別の方法を見つける」と言う。

どこまで進んでも、結果が出なかったという事実そのものを努力不足の証拠にできる。

これでは検証可能な説明にならない。結論が先にあり、理由を後から継ぎ足している。

現実でも、「本気で努力したなら成功したはずだ」という言葉は使いやすい。成功しなかった人の努力を、結果によって無効化できるからだ。

だが、初期条件も利用できる資源も異なるなら、同じ努力が同じ成果を生むとは限らない。努力の方法を変えれば改善する場合もあれば、制度や環境を変えなければ越えられない壁もある。

壁に向かって走った時間が短かったのか。
走り方が悪かったのか。
そもそも、その壁に個人の走力だけで越えられる入口があったのか。

原因は分けて考えなければならない。

★5無凸も努力しているかもしれない

この比喩は、★5側を怠け者にするためのものでもない。

無凸でも、レベルや装備を育てているかもしれない。現実で比較的有利な条件にいた人も、勉強し、働き、失敗し、工夫してきたかもしれない。

「条件に恵まれていた」と「本人が努力した」は両立する。

成功者の努力を認めることと、その成功に環境が影響したと認めることも両立する。

ここを対立させると、「環境の話をするのは成功者への嫉妬だ」という雑な防御が始まる。しかし、努力と条件を別々に数えることは、努力を没収する作業ではない。

例えば、追い風の中を懸命に走った人がいるとする。その人が走った事実は消えない。同時に、向かい風の中を走った人との記録を比べるなら、風の違いも無視できない。

「俺も走った」は事実かもしれない。

だが、それは「風は同じだった」という証明にはならないのである。

ここで腹を立てる必要はない。君が走った距離を誰も取り消してはいない。ただ、追い風まで自分の脚力として申告するなと言っているだけだ。努力の領収書へ、環境から贈られた分まで水増ししてはいけない。

比較すべきは結果だけではない

★5無凸と★4完凸の模型が示すのは、努力の無意味さではない。

むしろ、結果に隠れた努力を見つけるために、条件と育成を分けろという話だ。

★4完凸が★5無凸に負けても、育成前より大きく伸びているかもしれない。最終順位だけを見れば敗者だが、伸び幅を見れば大きな成果を出している場合がある。

教育でも仕事でも、最終的な到達点だけを評価すれば、最初から有利だった者が高く評価されやすい。開始地点からどれだけ伸びたかを見れば、別の姿が現れる。

もちろん、試験や採用では一定の到達水準を確認する必要がある。結果による評価そのものを廃止すればよい、という話ではない。

結果を評価すること。
努力を評価すること。
支援の必要性を判断すること。

それぞれ目的が違う。目的が違えば、必要な情報も違う。

点数を測る試験結果だけで、努力や人格まで採点しようとするから話が壊れる。

結果は結果を示す。努力まで勝手に表示してくれるわけではない。

画面にない数字が見えると言うなら、それは洞察ではない。たいていは願望か思い込みである。

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