第1回 ★4が★5になれないのは努力不足なのか

異なる星のキャラクターカードを指し示す黒髪の案内役 社会心理学
ゲームでは星の違いを見る。それなのに現実では、なぜ条件を見ないのか。

この連載では、ガチャのレアリティを使って、努力・初期条件・公正世界仮説の関係を考える。星は人間の価値や能力そのものを示すものではない。

「努力すれば報われる」

学校でも職場でも、成功者のインタビューでも繰り返される言葉だ。努力を促す標語として使うなら、俺も否定するつもりはない。昨日より一つ問題を解けるようになる。練習を重ねて失敗が減る。積み重ねによって変わるものは、確かにある。

ようこそ、努力万能教の礼拝堂へ。ここでは成功者の経歴が聖典となり、敗者の事情は読む価値のない注釈として捨てられる。信じるだけなら自由だが、その教義で他人の人生まで採点するなら、少しばかり試験を受けてもらおう。

だが、この言葉を他人の失敗へ向けた瞬間、意味が変わる。

「報われなかったのだから、努力が足りなかった」

原因から結果へ進んでいた話が、いつの間にか結果から原因を決める話になる。成績が低いから勉強しなかった。収入が少ないから働き方が悪かった。仕事が続かないから忍耐力がなかった。生活が苦しいから計画性がなかった。

本人がどのような条件に置かれ、何をしてきたかは確認していない。それでも結果だけを見れば、努力量から人格まで読み取れるらしい。

いつから我々の目には、他人の人生を透視する鑑定機能が実装されたのだろうか。

もし君にもその機能があるというなら、ぜひ設定画面を見せてほしい。こちらには見当たらない。見えるのは結果だけで、過程も条件も黒塗りのままだ。それでも判決だけは威勢よく下す。なるほど、証拠を読まない裁判官ほど仕事が速い。

ガチャでは最初から星が違う

ガチャゲームでは、キャラクターに★3、★4、★5といったレアリティが設定されている。

キャラクターを育てれば、レベルが上がる。装備を整えれば、攻撃力や防御力が上がる。技を強化すれば、戦い方も増える。

それでも、育成によってレアリティが変わらないゲームでは、★4はどれだけ育てても★4のままだ。

そこで★4のキャラクターに、こう言ってみる。

「君が★5になれないのは、努力が足りないからだ」

ゲームを知っている人なら、何を言っているのかと思うだろう。★4のキャラクターが、自分で★5にならない道を選んだわけではない。怠けた結果でも、意識が低かった結果でもない。ゲームのシステムが、登場した時点で異なる条件を与えている。

プレイヤーには、その事実が分かる。画面に星が表示されているからだ。

★4を引いたとき、「このキャラクターは前世で努力を怠ったから★4なのだ」と考える者はいないだろう。★5より基礎性能が低ければ、まずレアリティやゲーム設計を確認するはずだ。

ところが現実社会へ移ると、条件を調べる前に本人の努力を疑い始める。

ゲームでは星を確認するのに、現実では条件欄を開かない。ずいぶん雑な攻略判断である。

ゲーム攻略で同じことをすれば、初心者扱いされても仕方がない。敵の属性も装備も確認せず、「負けたのは気合が足りない」と攻略掲示板へ書き込む者がいたら、君はその助言を信用するだろうか。現実の話になった途端、その程度の助言が人生訓として大手を振って歩き始める。

星が表すのは人間の価値ではない

ここで誤解を避けておきたい。

この記事で使う星は、人間の価値や生まれつきの能力を格付けする記号ではない。本人が選べなかった初期条件や、利用できた資源を単純化して示すための記号である。

例えば、家庭の所得、学習できる場所、健康状態、住んでいる地域、利用できる交通手段、相談できる相手、失敗後に再挑戦できる余裕などだ。

現実の人間を★4や★5に分類したいわけではない。現実の条件はもっと複雑で、場面が変われば有利と不利が入れ替わることもある。一つの星で人間全体を表せるはずもない。

それでも、わざわざ星を持ち出す意味はある。

ガチャでは、初期条件と育成結果が別々に表示される。現実社会では、それらが一緒にされやすい。結果が良ければ努力した人、悪ければ努力しなかった人と処理される。

星は、その混線をいったん切り離すための道具である。

同じ結果は同じ努力を意味しない

二人のキャラクターが、同じダメージを出したとする。

一方は初期性能が高く、育成の途中でそこへ到達した。もう一方は初期性能が低く、装備や技を限界近くまで整えて、ようやく同じ数字へ届いた。

表示された結果は同じでも、そこまでの経路は違う。

反対に、育成量が同じでも、初期性能や使える装備が異なれば、結果に差が出る場合もある。

つまり結果だけからは、努力量を一つに決められない。

これは「努力について何も分からない」という意味ではない。育成履歴や利用できた資源など、追加の情報を調べれば判断材料は増える。問題は、その追加情報を持たないまま結果だけで断定することだ。

現実でも同じである。

試験の点数は、その試験で何点取ったかを示す。採用の結果は、その選考で採用されたかを示す。年収は、ある時点で得た収入を示す。

それらは本人の全努力量を測る専用メーターではない。

努力論が壊れる最初の地点

「努力すれば報われる」という言葉には、未来へ向けて人を励ます働きがある。

しかし、「報われた人は努力した」「報われなかった人は努力しなかった」と過去を裁くために使えば、条件の違いは消える。しかも、結果の良い側は自分の成功をすべて努力の証明にでき、結果の悪い側には反証が難しい。

どれほど努力したと説明しても、「結果が出ていないのだから足りなかった」と返せてしまうからだ。

これでは努力が測定されたのではない。結論に合わせて努力の定義を動かしているだけである。

ガチャは、そのごまかしを許さない。

★4が★5になれなかった。画面を見れば、まず星が違うと分かる。育成不足かどうかを論じるなら、その次に育成状態を確認する。

現実でも、本来は同じ順序が必要なのだ。

結果を見る。条件を確認する。本人が何をしたかを調べる。それから原因を考える。

結果だけ見て努力不足と決めるのは、分析ではない。結果画面に自分の価値観を書き込んでいるだけである。

社会は、全員が同じ星から始まる育成ゲームではない。

それでも全員が同じ星だと言い張るなら、せめてステータス画面を開いてからにしろ。見てもいないデータで他人を採点する者に、努力を説く資格などない。

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