第5回 ★5の「俺も努力した」は反論にならない――努力を支える社会へ

追い風の道と泥道を走る二人に橋を示す黒髪の案内役 社会心理学
橋は努力の代わりに進んでくれない。それでも、渡れる経路は増やせる。

この連載では、ガチャのレアリティを使って、努力・初期条件・公正世界仮説の関係を考える。星は人間の価値や能力そのものを示すものではない。

格差や初期条件の話をすると、こう返されることがある。

「恵まれている人だって努力している」
「成功者の努力を無視するな」
「環境のせいにしても何も変わらない」

来た。条件差を語ると必ず召喚される三体の守護神である。成功者への嫉妬、努力の否定、責任転嫁。この三枚を場に出せば、環境について考えずにターンを終了できる。ずいぶん燃費のよい思考法だ。

最初の二つは、その通りである場合がある。

比較的有利な条件にいた人も、勉強し、働き、失敗し、工夫してきたかもしれない。★5だって育成する。無凸でもレベルや装備を整え、使い方を研究するプレイヤーはいる。

成功した人の努力を、環境に恵まれていたという理由だけで消す必要はない。

ただし、そこから「だから条件差は存在しない」とは導けない。

努力と有利な条件は同時に存在する

追い風の中を懸命に走った人がいるとする。

その人が走った事実は消えない。汗をかき、苦しさに耐え、ゴールまで進んだ。それは本人の行動である。

同時に、別の人は向かい風の中を走っていたかもしれない。重い荷物を持っていたかもしれない。道がぬかるみ、同じ速度を出すために余計な力が必要だったかもしれない。

先に到着した人が努力した事実と、走った条件が違った事実は両立する。

「俺も走った」は事実かもしれない。

しかし、それは「全員が同じ風の中を走った」という証明にはならない。

追い風を認めても、君の足跡は消えない。そこまで怯える必要がどこにある。自分の努力は、環境の助けを一つ認めただけで崩壊するほど安物なのか。

★5の「俺も努力した」も同じだ。

本人の努力を認めても、★4との初期条件の差は消えない。条件差を指摘しても、★5の努力を否定したことにはならない。

この二つを対立させるから、格差の話が成功者への悪口にすり替わる。

不利な人を聖人にする必要もない

逆方向の決めつけにも注意が必要だ。

不利な条件にいた人が、必ず努力家であるとは限らない。困窮している人が常に正しい選択をしてきたとも限らない。

人は失敗する。判断を誤る。面倒なことを先送りする。支援があっても利用しない場合もある。

だが、それは支援を不要とする理由にはならない。

制度は、完全無欠な被害者だけを助けるために作るものではない。人が失敗し、判断を誤り、それでも生活を立て直す必要があるから存在する。

病気になった原因に本人の生活習慣が関係していても、治療の必要性が消えるわけではない。学習につまずいた原因に本人の行動が含まれていても、学び直す機会を奪う理由にはならない。

本人の責任を検討することと、社会がどこまで支えるかを決めることも別の問題である。

「一度でも判断を誤った者は助けない」という社会を望むなら、まず自分の人生を提出するとよい。誤りが一つもない者だけが、その厳格な制度を安全圏から称賛できる。たぶん受付は永遠に空いたままだ。

何か一つ本人の落ち度を見つけた瞬間、すべてを自己責任に変える。これもまた、複雑な原因を一枚の札で処理する方法だ。

条件が影響するなら、条件を変えられる

初期条件が結果に影響するという話をすると、「では人生は生まれですべて決まるのか」と反発されることがある。

そうではない。

条件に影響力があるからこそ、条件を変える取り組みに意味がある。

学習費用を軽減する。
安心して勉強できる場所を用意する。
使える時間を確保する。
相談先や情報への経路を増やす。
健康上の制約へ配慮する。
一度失敗しても再挑戦できるようにする。

こうした支援は、努力の代わりに結果を配るものではない。本人の取り組みが成果へつながる経路を整えるものである。

橋のない川を前にした人へ、「泳ぐ努力が足りない」と言い続けることもできる。だが、橋を架ければ、泳げない人も対岸へ移動できる。橋を渡った人が歩かなくてよいわけではない。歩くための経路が増えたのである。

社会保障や教育政策は、この橋をどこへ、どの程度架けるかという議論でもある。

「努力すれば報われる」を理想にするなら

「努力すれば報われる」を社会の理想として掲げたいなら、努力を求めるだけでは足りない。

努力できる時間があるか。
利用できる手段があるか。
途中で倒れたときに戻れるか。
成果を評価する側が、条件差を実力差として処理していないか。

そこまで見て、初めて努力が報われやすい社会へ近づく。

結果が出なかった人へ「努力不足」と言うだけなら、何も整えていない。現状に説明書を付けて、本人へ返送しているだけだ。

ガチャは残酷なほど正直である。

★4には★★★★、★5には★★★★★と表示される。初期条件が違うことを隠さない。だからプレイヤーは、★4が★5になれない理由を人格や根性に求めない。

現実社会は、そこまで親切ではない。

条件差を表示せず、最後の結果だけを見せる。そして空白になった過程を、努力や自己責任という使い勝手のよい言葉で埋める。

ゲームならステータス画面を開く者が、現実では結果画面だけで他人の人生を採点する。ずいぶんと粗末なプレイではないか。

しかも採点する側は、自分の初期条件だけを非表示にしたがる。自分の成功は努力の物語、他人の失敗は自己責任の結果。そんな片側だけに補正のかかったルールを、公平とは呼ばない。ご都合主義と呼ぶのである。

成功者を引きずり下ろす必要はない。失敗した人を聖人に仕立てる必要もない。

必要なのは、努力と条件を別々に見ることだ。

星は人間の価値ではない。だが、星にたとえなければ見ようともしなかった条件差は、確かに存在する。

努力を否定するな。そして、努力のスタートラインまで本人の責任にするな。

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