喜多川祐介の貧困はなぜギャグになったのか【P5考察】

ペルソナ5考察

注意:本連載は『ペルソナ5』『ペルソナ5 ザ・ロイヤル』の物語と人物設定に触れる非公式考察である。

まず無知の棺を蹴り開ける――『ペルソナ5』とは何か

『ペルソナ5』。現代東京のアスファルトを裂き、抑圧された高校生の反逆因子を噴き上げるRPGだ。

腐った大人の欲望が内臓のように肥大した異世界「パレス」へ侵入し、心を盗む。昼は制服。夜は怪盗。表では出席簿に縛られ、裏では神の真似をする支配者へ処刑宣告を叩きつける。

その青い刃が喜多川祐介。芸術家志望の高校二年生。師匠・斑目に才能も生活も搾り取られ、真実を知り、決別し、怪盗団へ加わる。

はい、救済完了。暗転。拍手。エンドロール。

――とでも思ったか、幸福な脳髄よ。額縁を裏返せ。救われたはずの少年が、次の場面では空腹を笑われている。そこに吊られているのは名画ではない。救済という言葉の生皮だ。

「また祐介が金欠だ」――笑え。お前の良心が死ぬ音まで

祐介は食費より画材を選ぶ。生活より芸術を選ぶ。腹の虫が終末のラッパを吹いても、美へ遭遇すれば財布の封印を解く。

面白い。ああ、面白いとも。俺だって笑う。

だが笑った口を閉じる前に、床下を見ろ。そこには何が埋葬されている?

保護者同然の師に生活も創作も握られ、金を扱う練習時間まで黒く食い潰された少年だ。その少年が独り立ちに失敗するたび「さすが祐介」。便利だな。被害の残響へキャラ属性という値札を貼れば、観客席の全員が無罪になる。

空腹はギャグ。困窮は個性。支援の不在は愛され要素。腐乱した現実へ笑い声を塗りたくり、「これはコメディです」と棺桶へリボンを結ぶ。

錬成成功だ。被害者の後遺症から、誰も責任を取らなくていいマスコットが生まれた。おめでとう。倫理の賢者の石だ。

個性を愛することと、飢餓を飼育することを混同するな

勘違いするな。俺は祐介を「かわいそうな被害者」という透明な棺へ押し込みたいわけじゃない。

あの浮世離れした美学。生活を焼却炉へ放り込んでも描こうとする執念。あれは祐介の牙だ。牙を抜き、家計簿を抱いた無菌の優等生へ改造しろなどと言っていない。

俺が問うのは一つ。その牙が美しいからと、牙の持ち主が餓死寸前まで削れる様子を観賞作品にしていいのか。

「本人が好きでやっている」

「芸術家なんてそんなもの」

出たな。見捨てる者だけを守る暗黒詠唱。効能は絶大だ。唱えた瞬間、祐介の空腹は消えないが、お前の責任だけは煙になって消える。

被害者はボス撃破後も生きる――残念だったな、物語は終わらない

物語は断罪の瞬間を愛する。予告状。覚醒。総攻撃。改心。派手な効果音。正義の花火。観客はそこで救済の完了印を押す。

だが被害はボス戦の経験値になって消えない。斑目を倒した翌朝も、胃袋は課金を要求し、家賃は現実属性の即死魔法を撃ってくる。

  • 住む場所
  • 食費
  • 学費
  • 生活習慣
  • 相談できる相手

奪われた時間の請求書は、救出後に黒い翼で届く。しかも延滞金つきだ。

鎖を切った。だから泳げ。

笑わせるな。救済者の衣を着た投棄業者め。それは自由ではない。足に過去という鉄球を結んだまま海へ放り込み、岸から「自立しろ」と手を振っているだけだ。

祐介の貧困を笑えるのは、俺たちが画面の外という安全圏にいるからだ。だが命を預け合う戦友まで笑って終えるなら、そこに新しいパレスが誕生する。主は斑目ではない。善意を名乗る傍観者たちだ。

最初の怪異は空腹ではない。空腹を「いつもの祐介」へ変換し、笑いながら永久保存した、お前たちの認知だ。


次回:斑目からの解放は自立ではない――救出後の生活を誰が支えるのか

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