終章:語る力を手放した国──“日本アニメすごい”の先にあるもの

終章:語る力を手放した国──“日本アニメすごい”の先にあるもの アニメ

「作画すげぇ!」
「日本のアニメ、世界に誇れるよな!」

──ああ、そうかい。
お前はそれで、満足か?

その“すげぇ”って言ってるアニメの神様──
もう、日本語で命令してないけどな。

語られていない国に、主役を名乗る資格はない

もう一度、思い出せ。
語りってのは、世界を定義する行為だ。

「どんなルールで」「どんな言語で」「どんな目線で」語られているか。
──それがすべてなんだよ。

かつて、日本語はその「定義の言語」だった。
物語の核、キャラの思想、演出意図、世界観──
それらを形づくる“魂の設計図”は、間違いなく日本語で書かれていた。

でも今は違う。

英語で構築されたシステム。
韓国語で語られる感情。
そして、日本語は“後から当てられる”だけの吹き替え。

その現実に、気づいてるか?

『俺レベ』は象徴にすぎない──だが、あまりにも露骨だった

『俺だけレベルアップな件』は、その構造を隠さなかった。

  • UIは英語
  • 原作は他国
  • 看板にすら日本語は載っていない

──なのに、日本の視聴者たちはこう言った。
「作画がいいから日本アニメ」
「制作が日本ならそれでいい」

……本気でそう思ってるのか?
それ、“安心”じゃなくて“麻痺”だ。

栄えてなお、沈みゆくもの

平家ってのはな、
最も栄えていたとき、もう沈み始めてた。

今の日本アニメも、たぶんそうだ。
神の声を失っているのに、それにすら気づかず──

「日本すごい」と言い続ける。

けれど、その構造こそが文化の墓標なんだよ。

最後に問う。お前は本当に、“語られていた”か?

あの物語の中に、お前自身の文化の匂いはあったか?
お前の母語は、世界のルールを動かしていたか?
──それとも、お前はただの“翻訳された観客”だったか?

俺は、もう知っている。

語る力を手放した国は、やがて“語られなくなる”。
そして、それに気づかないまま日々を過ごしているうちに──

世界は、お前の言葉じゃ動かなくなる。

神の声が、日本語じゃなかった。
その瞬間、この国の“主語”は、もう消えていた。

それでもまだ言えるのか?
「日本アニメは、すごい」って。
今ならまだ己を知り、自我を認識し未来へ進み導けるだろう。

ん、出来ぬ?

……なら、せいぜいその幻想の中で、綺麗に死ね。

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