──さて。今回は、“日本アニメ”って本当に“日本の物語”なのか?という疑問から始めよう。
本記事では、『俺だけレベルアップな件』を例に、韓国原作・英語UI・日本制作という「三層構造」に着目し、現代アニメにおける“語り”の主導権がどこにあるのかを問う。
ここまで来たら、さすがに気づくだろ?
これはもう“日本の作品”なんかじゃねぇ。
構造からして、そうなっていない。
これはもう“日本の作品”なんかじゃねぇ。
構造からして、そうなっていない。
- 原作:韓国
- 神の声:英語
- 映像:日本のスタジオが制作
……はい、完成。
完全なる“日本語外”構造。
制作したからって、“語った”ことにはならない
貴様が「日本のスタジオが作ったから日本アニメ」と言ったその瞬間、
“語る”という行為と、“描く”という行為の区別は死んだ。
わかるか?
俺たち、今、“語らせていただいてる”んだよ。
設定は韓国。
ルールは英語。
絵だけが日本。
これが“物語の主役”か?
語りの三層支配構造──そして日本は末端
この構造、もっと正確に言うとこうだ。
- 魂(Story):韓国
- 神(System/UI):英語
- 肉体(Animation):日本
日本は“肉体”を作ってるだけ。
つまり──物語の末端。
「描いてる=主役」と思ってる奴は、
完全に幻想の中だ。
思い出せ。
かつては“設計図”ごと日本が描いていた。
脚本も、背景も、UIも、演出も──
すべてが日本語で、“語って”いた。
だが今は?
英語で出された仕様書を、
日本の手で“綺麗に仕上げてる”だけ。
その綺麗さに安心してる時点で──
もう日本は、語りの王国じゃない。
貴様、それでも「日本アニメ」と言い張るのか?
ルールも設定も外部から与えられ、
声もセリフも後から当てたもの。
それって、
“翻訳された映像”じゃねぇか?
かつて外注していたのは“作画”だった。
でも今は、“語り”そのものを外に出してる。
これが“語りの植民地化”でなくて、なんなんだよ。
別に外国語語りのアニメが悪いと言っているんじゃない
「日本アニメ」だといういびつな選民主義が悪そのものなんだよ!
“作ってるだけ”で満足するな──語る資格の話をしよう
……“語り”を忘れた国に、栄光なんて残らない。
語らなかった者に、主権はない。
作るだけで満足してる場合じゃない。
物語の芯──世界観・言葉・魂──それすら他国に委ねておいて、
「日本のアニメです」って胸を張れるほど、俺たちは堕ちてたのか?
……でも、まだ終わっちゃいない。
次の章では、“語り”を守った奇跡のような作品を紹介する。
資本が国外でも、魂が日本にあった──
『あんスタ』が示した可能性、その意味を、語ろう。
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