「これ、地の文ないじゃん」「説明ゼリフばっかじゃん」「なんでそれで泣けるの?」
──そう言ったよな、お前。
じゃあ、俺が見せてやるよ。“語られてない部分”こそが、一番深い物語を生むんだってことをな。
それでもだ……
地の文がない。それがどうした?
わかる。お前は“文章の構造”ってやつを知ってるつもりだ。
- ナレーションがあって
- 背景があって
- 心理描写があって
──それが“物語”だと、習ってきたんだろ?
でもな、俺はあえて言おう。
そんなもん、なくても物語は成り立つ。
むしろ、ないほうが“想像の爆心地”になることもある。
セリフだけで世界が広がるとき、何が起きてる?
たとえば、こんなやりとりがある。
「……ごめん」
「……そういうの、今はやめて」
「……わかった」
説明はどこだ?
誰が何に謝って、何が起きて、どうなった?
──何も語られてない。
でもな、その“空白”を埋めようとする脳の働きが、物語を生成するんだよ。
語られたことより、
語られなかった“その沈黙”こそが、想像をかき立てる。
“自分の中の地の文”を読んでるんだ
セリフだけのやりとりを読んで、泣いた。
でもその涙、どこから来たんだ?
──書かれてないはずの情景、心理描写、記憶、匂い、音。
全部、本人の中から湧いてきた“地の文”だ。
つまり、
“語り手”は、本人自身だったってことだ。
地の文の省略は、感情の余白だ
あえて説明しない。
あえて言い切らない。
あえて“見せきらない”。
それは手抜きじゃない。
余白を設計する技術だ。
受け手の想像を信じてるから、
あえて沈黙を渡す。
だから、俺たちは泣ける。
“書いてないこと”が、
一番強く胸を刺すときがある。
「説明がないから浅い」じゃない。「読まなかったお前が浅い」
お前は言った。
「説明が足りないから伝わらない」って。
でも違う。
お前が“読んでない”んだよ。
セリフの行間。
声の裏にある震え。
沈黙の意味。
空白の演出。
全部、“語られなかった言葉たち”なんだよ。
それを読み取る力がないまま、
「浅い」と切り捨てるな。
──切り捨ててるのは、物語じゃなくて、
お前自身の想像力だ。
だがな……
薄っぺらいって笑われるコメントがある。
「泣いた」「尊い」「無理」──それしか言えなかった奴が、いた。
じゃあ訊く。
本気で泣いたときに、上手い言葉が出るのか?
言葉にならなかった感情を、
それでも絞り出したのが、そのコメントだったんだよ。
次回:感情を“泣いた”の一言で流して何が悪い?
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