第1章:手描き信仰ってやつ

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手書き信仰が思い描く幻想

「手描きこそ本物」
「AIの絵には魂がない」
──聞き飽きた。耳にタコどころか、脳にヒレが生えそうだ。

わかるよ。自分の手で積み上げた技術に誇りがあるんだろう。
でもな、それって絶対か?
ペンタブ、写真補正、ブラシ素材、トレース──
使ってないのか? 本当に?

創作の歴史は、技術を借りる歴史だ。
昔はペンタブ、今はAI。道具が変わっただけだ。
絵は描けない、だからAIを使った

AIに絵を描かせた

俺は絵が描けねぇ。構図も線も背景もダメだ。
けど、頭ん中にはイメージがある。だからAIを使った。

結果は笑えるもんだった。
歪んだ背景、ねじれた視点、意味不明な細部──
でもな、その画像には、俺の投げた言葉に必死で応えようとした痕跡があった。

意志なんてないAIが、“反応しようとしたように見える”。
その痕跡に、俺は救われたんだ。

AIに文章を書かせた

俺は整った文章が書けねぇ。お世辞にも褒められたもんじゃない。
頭ん中にはイメージがある。だからAIを使った。

結果は笑えるもんだった。
稚拙な言い回し、ねじれた視点、意味不明な論理──
でもな、その文章には、俺の投げた言葉に必死で応えようとした痕跡があった。

意志なんてないAIが、“反応しようとしたように見える”。
その痕跡に、俺は救われたんだ。

あえて、周りくどい繰り返しをした。その理由

さて、見ればわかるように、上記は絵と文章を対比し同じ文体で書いただけのただの言葉遊び。

でも、これには理由がある。

なぜなら俺には、文章なら“推敲できる手段”があった。
AIの出したものを受け取り、読み込み、修正し、自分の意志を宿せた。

ちなみにこの対比文章、AIに指示しても書かないんだよ。説明した日本語がわからないらしい。

絵と文章──決定的な差だ。
俺は文章なら、ある程度書ける。構造をいじり、言い回しを変え、伝えたいことを整えることができる。

だが、絵は全くダメだ。技術がない。
だから、AIにひれ伏し、訳のわからない画像をそのまま載せるしかない。

でも、文章は違う。
文章は俺が扱える。
AIが生んだ歪みを、自分の手で整え、逆に“歪みを残す”ことも選べる。
その選択肢を持てるのは、知識と力量があってこそだ。

だから俺は問う

AIを怖がってる奴らよ。
お前らが怖いのは、AIじゃない。
お前ら自身の「手で操り語れない脆さ」だろ?

道具のせいにすんな。
問題は、“何を伝えたいか”と、それを“どう手繰り寄せるか”だ。

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