第5章:では『あんスタ』は日本なのか?──語りの国籍という問い
さて……
ここで、逆の問いを投げてやる。
『あんスタ』は、日本の作品か?
運営会社は中国資本。
アプリの本社は北京にあるHappy Elements。
資本構造で言えば、外資そのもの。
でも俺は、こう断言する。
あれは、紛れもなく“日本の語り”だ。
語りの根がどこにあるか、それだけだ
『あんスタ』のUIは?
セリフは?
シナリオの地の文は?
CVの演技は?
キャラの世界観は?
舞台背景は?
ファンとの関係は?
──すべて、日本語で構築されている。
語りの起点がどこにあるか、それが問題なんだよ。
『あんスタ』は“翻訳される側”だ
英語版、中国語版、韓国語版──存在する。
でも、それは日本語の物語を“外に”運ぶ作業だ。
(ただ、中国版に関しては政治的理由で改変されている可能性はあるがな……)
“語った”ものが翻訳されるのと、
“語られた”ものに日本語を当てるのでは、意味がまったく違う。
『あんスタ』には、“魂の原稿”がある
たとえ資本が外資でも、
たとえ運営が海外企業でも──
語っているのは、日本語。
設計図も、日本語。
言葉のテンポも、演技の熱も、文化的背景も、全部日本語の上に乗ってる。
だから俺は言う。『あんスタ』は、日本だ。
一方で『俺レベ』は?
……原作は韓国。
設計図も韓国語。
UIは英語。
日本語は、ただの吹き替え。
演じてるんじゃない。当ててるだけ。
これは、文化的レンダリング作業に近い構造だ。
“演出の外注”じゃない、“語りの外注”なんだ。
語りの国籍は、パスポートじゃない
それは、“誰の言語で神が語るか”で決まる。
『あんスタ』の神は日本語で命ずる。
『俺レベ』の神は英語で命ずる。
──それが、俺の見る限りの“決定的な違い”だ。
次章ではいよいよ、“かつて日本が守っていた語り”の話をしよう。
──あの頃、日本は作画を外に出しても、語りは手放さなかった。
それが、どうしてこうなったのか。
次はその原点回帰の章だ。
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