第1章:“文学”って言いたいだけ病──切り捨てるためのラベル遊び

“文学”って言いたいだけ病──切り捨てるためのラベル遊び アニメ

「これは文学じゃない」って、どこで習った?

言葉の重さを測る“定規”を持ってないだけじゃないか?

セリフだけの物語は文学じゃない? 地の文がない作品は浅い?
そうやって切り捨てる者に問う。“文学性”とは何か?
語られない想像力こそが、語りの本質だ。

「これは文学じゃない」
「これは文化じゃない」
「これは、俺の知ってる“物語”じゃない」
はいはい、御立派なご高説。
で、お前──それ、どこで習った? 誰から教わった?
……ああ、“文学”って言いたいだけか。

「文学性」って、結局なんだ?
お前ら、“文学”って言葉を都合よく使いすぎなんだよ。

  • 文字数が多ければ文学?
  • ナレーションが入ってたら文学?
  • 比喩が難しければ文学?

違ぇよ。
文学性ってのは、“物語の深さ”じゃない。
読者の中に“世界を生成する構造”のことだ。
でもな、お前はたぶん、それを測る“定規”を持ってない。
だからこう言う。
「文学じゃない」
というラベルを貼ることで、
「俺はわかってる側だ」と信じ込もうとする。
──お前、それこそ一番浅いじゃねぇか。

動かない画面に、何が足りないと感じた?

それ、実はお前の“想像力”の動き次第だろ?

テキストだけ。
地の文なし。
立ち絵だけ。
演出もミニマム。
そんな物語に、
人が涙を流すことがある──という“事実”。
それを前にして、
お前は「構造を見直す」んじゃなくて、
「その涙が浅い」と断じるのか?
そっちの方がよほど無理解。
そして、無慈悲なまでに想像力が貧困だ。

「文学じゃない」という言葉の裏にある“逃げ”

それ、本当に作品の問題か? お前自身の不安じゃないのか?

動かない背景。止まった画面。
でも──そのとき、
お前の頭の中は、ちゃんと動いてたか?
語られていない間。
キャラの表情。
“言葉になっていない感情”。
それを補完してこそ、
語りの共犯者になれるんだよ。
“動かないからつまらない”んじゃない。
“お前が動かなかった”だけだ。

セリフだけで泣ける物語を、どう見るか

説明されていないからこそ、感情が爆発する構造

セリフしかない物語に、なぜ人は泣く?
最後にもう一度、訊こう。
お前、「文学じゃない」って言葉を使って、
本当は何から逃げてる?
・知らない作品に向き合う手間?
・自分に理解できないものへの恐れ?
・それとも──泣いた“あいつ”に共感したくないだけか?
俺は代弁者だ。
だからその“逃げ”も代弁してやる。
だが、連載が進めば進むほど──
お前が本当に逃げてたものが、だんだん見えてくる。

次回、「キャラに魂が宿る瞬間を、俺は見た」。
キャラが“絵”から“生き物”へ変わる、その一線を越えたとき、
お前はもう、黙って見ていられない。

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