……毒は怖い? そりゃそうだ。でもな、怖がって目を逸らした瞬間、もうお前は毒に喰われてる。
リボ払いは毒だ──そう言う奴は多い。だがな、俺に言わせりゃ、それは“読める毒”だ。
第4回では、「なぜ毒を読めなかった者が喰われ、読んだ者が生き残るのか」を語ってやる。
読むという行為が、制度と向き合うための唯一の手段であり、“毒を薬に変える鍵”だってことをな。
毒を薬に変えるのは「読む者」だけだ
毒を恐れた時点で、すでに喰われてる
誰かが決めた“危ない”という言葉を鵜呑みにして、読む前から逃げ出す──それで何を守れる?
毒は、読む者にしか従わない。読むことでしか、その量もリスクも効能も測れない。
読む覚悟が毒を制御する
リボ払いは猛毒か? 確かにそうかもしれない。だが、年利18%って書いてある。元本の減り方も書いてある。
読めばわかる。でもほとんどの奴は、わかろうとすらしない。
毒を飲むってのは、強さじゃない。“覚悟”だ。
自分で読んで、納得して、それでも飲むって決めた奴だけが制御できる。
喰われたくねぇなら、まず読め。逃げるな。読むんだ。そして、自分の意思で飲め。
毒に耐える者だけが、毒を使う権利を持つ。それが、俺の流儀だ。
読むことでしか、毒は薬にならねぇ。
次回は、この毒をどう武器にするか──つまり、制度を“使う側”に回る方法を語ってやる。
なお、制度設計や契約条項の確認には、日本クレジット協会などの公式情報も参考になる。
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